2017122日  礼拝メッセージ

深みに漕ぎ出して網をおろしなさい。ルカ5111

 

 

1、群衆がイエスに押し迫るようにして、神のことばを聞いた時、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立っておられた。

2、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。

3、イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そして、イエスは座って舟から群衆を教えられた。

4、話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりない。」と言われた

5、するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ取れませんでした。でもお言葉通り、網をおろしてみましょう。」

6、そして、その通りにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。

7、そこで別の舟にいた仲間たちに合図して、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そうして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。

 

8、これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください.、私は罪深い人間ですから。」と言った。

⒐、それは、大漁のため、彼も一緒にいたみなの者も、ひどく驚いたからである。

10、シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間を取るようになるのです。

11、彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。

 

イエスさまが行く所、人々は押し迫るようにし神の言葉を聞いた群衆は、今までとはまったく聞いたこともない説教を耳にしました。癒され、悪霊から解放だされることはユダヤ人は全知ることはありませんでした。

 

51

1、群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いた時、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられた。

こう書かれてあります。

この場面は、イエスさまが宣教のみわざについたはじめのころの様子です。

4章から順番に見ていきます。

41

1、さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして、御霊に導かれて荒野におり、

240日間、悪魔の心に会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。

40日の断食をされ、悪魔と闘います。

お前はお腹がすいているだろう。この石に、パンになれと言うならば、そうなる。お前は神の子だろう。

イエスさまは「人はパンだけで生きるものでない。」と言い悪魔の誘いを知りぞけます。

 

33、そして、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいた。

34、「ああ、ナザレ人の」イエス。いったい私たちに何をしようというのです。

あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。

35、イエスは彼をしかって、『黙れ。その人から出て行け』と言われた。すると悪霊は人々の真ん中で、その人を投げ倒して出て行ったが、その人は別に何の害も受けなかった。と。

36、人々はみな驚いて、互いに話し合った。「今のお言葉はどうだ。権威と力とでお命じになったので、汚れた霊でも出て行ったのだ。

37、こうしてイエスのうわさは、、回りの地方の至る所に広まった。

 

イエスさまは、人々に福音を語り、悪霊を追い出しました。

 

38、イエスは「立ち上がって会堂を出て、シモンのしゅうとめがひどい熱で苦しんでいた。人々は彼女のためにイエスのお願いした。

39、イエスがその枕元に来て、『熱をしかりつける』と、熱が引き、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。

 

40、日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、そのひとりひとりに手を置いて、いやされた。

 

41、また悪霊どもも、「あなたこそ神の子です。」と大声で叫びながら多くの人から出て行った。イエスは、『悪霊どもを叱って』ものを言うことを許しませんでした。

 

悪霊はイエスがキリストであることを知っていたのです。

 

このような出来事を人々が、まの当たりにして、人々群れとなって、イエスさまを捜し回っていたのです。

 

43、しかしイエスは、彼らにこう言われた。『ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。私はそのために遣わされたのですから。』

44、そして、ユダの諸会堂で、福音を告げ知らせておられた。

 

イエスさまの宣教のみわざに着いたその時から、旧約聖書しか知らない人々は語る一言一言に驚いたのです。彼らは幼い時代から、教えられた律法学者、祭司たち語る内容とは、わけが違う出来事を見たのです。

 

また、悪霊が先に、イエスさまを、「あなたは神の子です。」と人よい先に分かっていたのです。

 

さらに、

 

ここを良く知らなくてはなりません。

 

聖書の言葉は、「福音」なのです。福音とは「良き訪れ」と云う意味です。

 

今日の御言葉は5章です。人々が押し寄せて来たのです。

「群衆が押し迫るようにして、神のことばを聞きたい。」とあります

イエスさまはガリラヤ湖で、群衆に福音を語っていました。

 

その時、岸べに小舟が二そうあるのを見て、イエスさまはシモン・ペテロの小舟に乗り、群衆から少し離れて福音を語りはじめます。

 

イエスさまは、語り終わると、シモン・ペテロに「深みに漕ぎ出して、網を下ろしなさいと言います。

 

すると、ペテロは、「先生。私たちは、夜通し働きましたが、魚一匹取れなかったこと答えます。でも、先生が言われのなら、もう一度やってみますと言って、舟を沖に出して、網を下ろした時に、魚が網を破るほどの魚が取れたのです。

 

自分一人だけでは岸べに向かうことが出来ません。ペテロは、一緒に働く仲間に手伝ってくれと呼んで、二そうの舟はあまりの多さに、沈みそうになったのです。

 

すると、ペテロは「主よ。私から離れて下さい。私は罪深い人間ですから。」と言います。

 

 するとペテロの心が変わります。

 

 8、これを見た、シモン・ペテロが「主よ。私のような者から離れてください。。私は罪深い人間ですから。」と言った。

 

今まで「先生」と言っていた言葉が「主よ。」とい云う言葉に変わります

同じ、仲間であったゼベダイの子ヤコブや。ヨハネも同じでありました。

 

するとイエスさまは、「怖がらなくて良い。」と。

言葉は続きます。

「これから後、」あなたは人間を取るようになるのです。

 

マタイでは、「人間を取る漁師にして上げよう。」と書かれてあります。

その言葉に、みなは何もかも捨てて、イエスに従いました。

 

これからは、人間を取るようにして上げよう。と言うことばに即座に従いました。

 

ここから、注目する御言葉を見てみます。

 

 

第一番目

 私たちの舟を神さまに差しだすことです。

 

 

私たちは、1週間ごとに教会に来て礼拝をしています。

クリスチャンは、当たり前ですが、

神様は、私たちの心と思いが、イエスさまに向いて歩みを進めることを期待します。

私たちは、いっぺんに、あらゆることをなすことは出来ません。

小さな一歩からです。

 

教会へ通うということは、自分の心を差し出す行為です。

神様に、時間を捧げています。

御言葉を読み、その解釈を聞きます。

牧師はその責任を負っています。

牧師は御言葉に生きることを教えます。

牧師は、みなさんをイエスさまに命をかけて従うことを教えます。

 

聖書は何を語っているのでしょうか。

 

神様は愛であり、いまも生きておられることを教えます。

私たちの心の中にある罪を、神様の前で悔い改めることを教えます。

 

ペテロは、自分の舟を、イエスさまに差し出しました。

舟はペテロにとって命のような大切で貴重なものでした。

ペテロは、イエスさまに、「主よ。私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」と言葉を発しました。

 

このペテロの言葉は、私たちも同じです。

 

イエスさま、私は罪深い人間です。

この言葉は告白です。それゆえに、父なる神は、人間が罪から解放されるために、イエスさま世に遣わしました。

 

ここに愛があるのです。

 

人間は罪を持って生まれました。

 

天地創造の時、アダムとエバが罪を犯しました

神様が、エデンの園で、ここにある全てはあなたがたのものです。しかし、この「命の木の実」を食べてはならないと言われたのですが、二人はサタンにだまされて、それから、人間は罪を内在されて生まれます。

 

しかし、神様は二人の罪を見て、即座に、人間の罪からの解放のために、「罪を赦される」という計画を持たれました。

それが実現するために、長い期間、時間を要しました、

 

そして、イエス・キリストさまの誕生です。

イエスさまは常に父の語ることをそのままを実行されました。

それが、十字架です。

イエスさまは、十字架にお掛かりになる直前に、ゲッセマネの園で、血の汗をかいて、祈りました。

 

十字架は、人間の罪を、私の罪を、イエスさまが負ってくださった。身代わりとなって下さった。このことを決して忘れてはならならないのです

私たちは、自分の骨の髄から知らなくてなりません。

 

自分の心に語りかけてみてください。

私の罪は、赦されるます。

簡単なことです。

あば父を信じ、イエスさまを信じ、聖霊さまを信じることです。

 

聖霊さま、私はあなたを心の中に受けいれます。

 

第二番目

自分の宝を隠さない。

 

 

みなさんが教会に来たのは、何か自分の心の中に危機感があったからでしょうか。大きな問題を戦い疲れたからでしょうか。病の中で苦しんでいるからでしょうか。

 

ペテロは落胆したのです。昨日一生懸命になって働いたけれども。一匹の魚を取ることが出来ずに、落胆していました。

 

みなさんも同じ心境でしょうか。

落胆です。

落胆します。

 

 

イエスさまは言われました。『深みへ漕ぎ出して行きなさい。』

ペテロはその言葉に従って、網をおろしました。

 

ペテロは、イエスさまが群衆に語っていた時、何をしていたのでしょうか。

イエスさまのことを聞いていたのでしょうか。

 

そうではありませんでした。舟からおりて網を洗っていたのです。

その時突然にイエスさまの言葉を聞きました。深みへ網を下ろしなさい。

 

 このペテロはあきらめてしまったのです。あきらめないで行きなさい。

ペテロはイエス様の声に、再び、では先生、やってみますと答えて、

網を下すと、何と、舟が沈そうになるくらいの魚が満ちていました。

 

すると、ペテロは、『主よ、私から離れてください。私は罪深い者ですと告白します。

この告白は、私たちも同じです。

イエス様は私の思いをごぞんです。

あきらめないで歩みましょう。

 

1月にアメリカ・カリホルニア・レディング・ヒーリング・ミニストリーのディレクターの、リス・コア牧師が日本に来られて、メッセージをされているビデオをみました。私は残念だったのですが、行くことが出来ませんでした。

 

その冒頭で、私がニュージーランドの岸辺で祈っていました。

主よ。私は死ぬまえに、耳の聞こえない人がいやされるこ姿を見たいです。

よ。私が死ぬ前に、目が見えない人がいやされる姿て見たいです。

あっと言う間に、心の扉を悪霊どもにどうぞと、言っているようなものです。

 

私は感動しました。

 

私は祈ります。

主よ。私が死ぬ前に、病を持っている、姉妹たちを癒される姿を見たいです。こう祈ろうと思いました。

私が教会に接する病を持っている一人一人がいやされる場面を見てみたいです

 

悪魔悪霊どもは、教会でそのような祈りをして、現実になることを阻みます。

それは良く知っています。

ですから、悪魔悪霊どもに、イエス様が言ったように、『黙れ』と命令します。

『お前は!この姉妹を苦しめている病がいやされますように、姉妹から出て行け、地の底へ出て行け!と、イエス様の御名で追い出すことをしています。

 

Ⅰペテロ58

8、身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべき者を捜し求めながら、歩き回っています。

 

 

悪霊が憎むのはクリスチャンだけです。

真の神を知っている者を叩く、破壊するのです。

何の力もない。クリスチャンにするのです。

 

良く知っていなければなりなりません。

 

悪魔を甘く見てはいけません。

悪魔は、最初、賛美の天使長でした。

 

エゼキエル281317

13、あなたは神の園、エデンにいて、

あらゆる宝石があなたを覆っていた。

赤めのう、トバーズ、ダイヤンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメレラルド。あなたのタンバリン、と笛とは金で作られ、

14、私はあなたをを

油注がれた守護者ケルプとともに、

神の聖なる山に置いた。

あなたは火の間を歩いていた。

あなたの行いは、

あなたが造られた日から

あなたは不正を見い出れるまでは完全だった。

16、あなた商いが繁盛すると、

あなたのうちに暴虐が満ち、

あなたは罪を犯した。

そこで、私はあなたを汚れた者として

神の山から追い出し、

守護者ケルプが

火の石の間から消えうせた。

17、あなたの心は自分の美しさに高ぶり、

その輝きのために自分の知恵を腐らせた。

そこで、私はあなたを投げ出し、

王たちの前に見せものとした。

 

悪魔の最初は、賛美の扱う御使いだったのです。多くの宝の石をまとって、ジャリーン、ジャリーンときれいな音を鳴らして歩いていましたが、しかし、神よりも、高い存在になろうとして、神から地に投げれれたのです。

 

悪魔は聖なる賛美は大嫌いなのです。恐れるのです。

ですから賛美は、行進の先頭に立ちます。

敵を打ち破りながら、賛美が行進します。

それほど、賛美は重要な役割を持っているのです。

 

 

イザヤ1412

12、。暁の子、明けの明星よ。

どうしてあなたは天から落ちたのか。

国々を打ち破った者よ。

こうしてあなたは地に切倒されたのか。

13、あなたは心の中で言った。

私は天に上ろう。

神の星々のはるか上に私の王座を上げ、

北の果てにある会合の山に座ろう。

14、密雲の頂きに上り、

いと高き方のようになろう。

しかしあなたはよみに落とされ、

穴の底に落とされる。

 

12節に、『暁の子、明けの明星よ。』
と書かれていますね。これは間違いだと思います。
 

 

黙示録2216

16、私は、イエスは御使いを遣わして。諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。私はダビデの根、また子孫、『明けの明星である。』

 

悪魔が明けの明星となっていますね。

イエス様も、明けの明星です。

 

明けの明星はイエス様ですから、このイザヤ書の明けの明星が悪魔であるとは考えあっれまません。

黙示録では、明けの明星が、イエスさまですから、間違わないように、

 

 

 

さて、私たちが、「自分の思うように、イエスさまを見たならば、」あっと言う間にやられます。「自分が思うように。」とは自分の都合に合わせて、イエスさまを見るということです。これは間違っています。私たちは、イエスさまに言葉を優先することです。すると、正確な自分が見えて来ます。イエス様の言葉を信じ、御言葉に従順します。

 

第三番目

人間を取る漁師になります。

あなたはこれから人間を取るようになる。とイエスさまは語りました。

 

神の国が拡大するために祈ります。

 

ペテロの舟に魚がいっぱいに取れましたね。

私たちの教会に霊の子どもたちが沢山訪れるように祈ります。

日本の国がリバイバルされて、日本が救われるために切に祈り求めます。

日本中の教会があふえる人々が群衆となって行きますように。

 

励まし合い、家庭の中心にイエスさまを迎えます。

聖霊さまに、いつも心の目は離れません。

御言葉をいつも接し続けること。イエスさまを熱く愛します。

神の家を建て上げます。

アルゼンチンに行きました。何回も語っています。

アルゼンチンの歴史を変えたのは、カルロス・アナコンディアでした。アナコンディア先生は、「悪霊学」を世に出しました。

先生の伝道集会に接することが出来ました。メッセージを終えると、悪霊追い出しを始めます。アナコンディア先生が悪魔悪霊どもに命令すると、悪霊に縛れていた人々がさまざまな形で騒ぎます。その場で倒れたり、大声を出したり、さまざまですが、訓練されたチームが2人がかり、3人がかりで解放のテントに連れて行きます。そして、カウンセリングチームが一人一人に愛を込めて接していくのいです。私が聞いたことは、解放のテントに連れられて来る半分はクリスチャンだと言うことでした。

 

アルゼンチンの教会は、未信者はここで新しくされて教会を紹介され、新しい人生の歩みを漕ぎ出します。また、クリスチャンが新しくされて、教会は聖よめられます。

素晴らしい働きです。

 

普通は、説教したあとに、イエス様を信じた人々は前に来て下さいと招きます。

これは、オーソドックスですが、アナコンディア先生は、もっと根底を捜し出しています。

 

アナコンディア先生が通う教会を訪ねることが出来ました。先生の長男の方も、この教会でホームレスの方々の伝道をされていました。

 

この教会は、4人の牧師がチームを組んで牧会しています。

チャーチ・スクールは素晴らしかったです。また、大きな礼拝堂ですが、また、増築される準備にはいたそうです。

 

この4人の牧師たちは、アナコンディアのような器はもう現れないだろう。と言っておられました。

 

 第四番目

 

自分自身を裁かない。

自分で自己評価しない。

 

8、これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して。「主よ。私のような者から離れてください。私は罪深いですから。

 

ペテロはイエスさま、私は、あなたの働きにふさわしくありません。主よ。あなたは素晴らしいお方です。しかし、私はそのような働きは無理です。準備が出来ていません。

 

多くの人々は、心の底に劣等感を持っています。

過去の心の傷を負って、トラウマのようになってします。自らを過小評価する傾向があります。

 

今日の社会は競争の激しい社会です。

競争が激しいと、心に傷を受けやすいです。

 

常に、自分自身を他人と評価することによって、自分自身をどんどん下げてしまいます。

 

神様の前に立って、神様が評価しているにも関わらず、神様の前に自分で自分を自己評価しています。

 

イエス様は、あなたにそのままでいいですよ。

イエス様は、あなたの心を今のままで良いと言われています。

イエス様はかまわないと「私があなたを選んだ」とおしゃっています。

 

「選んだ」とは ⇒ 「神さまが大事にしている」とい意味です。

 

 

神様の前で自分を否定しなでください。

私は、あまりにも小さすぎると勝手に自己評価をしないでください。

 

そのためには、大きな一歩を踏み出す秘訣は「感謝することです。」これが秘訣です。感謝をすればするほど、あなたの心の中にあるマイナスはプラスに変わります。

 

Ⅰテサロニケ4161718

16、いつも喜んでいなさい。

17、絶えず祈りなさい。

18、。すべての事について感謝をしなさい。これが、キリスト・イエスのあって神があなたに望んでおられることです。

 

 

 

今日、朝を迎えることが出来たことを感謝します。

今日、朝ごなんを食べられて感謝します。

今日、教会へ行けることを感謝します。

無事に教会へ着いたこと感謝します。

教会で御言葉を読めたことを感謝します。

牧師先生のメッセージを聞けたことを感謝します。

 

こうして毎日を感謝が次々に出て来ますと。

マイナスの心の中が明るくなります。

 

愛するみなさん

教会は、みなさんの落ち着く場です。

また、伝道の働きをするところです。

主にある、交わりのためです。

御言葉学ぶ場です。

 

深みに漕ぎ出して網をおろしなさい。

私たちの言葉でもあるのです。

 

祈ります。

愛する地父なる神さま、今日の聖日の日に、こうしてともに一同に返して、あなたに礼拝を捧げています。今日のこの時を感謝します。無事に教会の来れたことを感謝します。今日も御言葉を聞くことが出来ましたことを感謝します。私たちがいつも教会を中心として歩めますように、心からあなたにお願いします。病の中にいる一人一人がいやされることを待つ望んでいます。私が死ぬ前に病にある兄弟姉妹に聖霊様触れてください。これからの1週間をお守りくださいますように、切に祈ります。この祈りを主イエス・キリストの大名前で感謝し、祝福して祈ります。    アーメン